「キリスト教 聖書 レビ記」と一致するもの

LEMONと聖書

今朝、出勤時に会った職員さんに家で収穫されたレモンをいただきました。
付け合せのレモンも食べるほどのレモン好きなので狂喜乱舞(※心の中で)しています。

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色も形も香りも良いです!

ところで、ブログのネタが少ない時期、こうしてレモンを前にしたらネタになるかと、キリスト教とレモンの関係性を検索してしまうわけです。聖書の中にレモンって出てきたのかなーあまり記憶にないぞと思ったら、案の定、直接レモンの記述はないようです。
残念。

で、終わっていたらただのレモンをいただいた自慢ですが、実はちゃんと聖書の世界とレモンがつながっていることを発見したのでご紹介することに。前置きがずいぶん長くなりましたが、レモンが関係するのは旧約聖書レビ記23章40節です。

ここでは「仮庵(かりいお)の祭り」という、ユダヤ教の重要な祭日についてのやり方が書いてあります。
仮庵の祭りは収穫祭的なものでもあり、ユダヤの祖先が奴隷状態にあったエジプトを脱出したことを記念して行われるものです。
そこで初日に用意する門松的なものにレモンが使われています。聖書には木の実としか書いていないのですが、それをユダヤ教徒の人がこの木の実はレモンという風に受け止めてからレモンが使われているようです。

仮庵の祭り、体験したことはないのですが、写真で見るとグランピング(これも体験したことはない)みたいな雰囲気で楽しそうです。検索してみてくださいね。
(伝道師じゃないほう)

乃木坂46新曲『世界中の隣人よ』のキリスト教的考察

乃木坂46ファン必見!?伝道師による前代未聞の「乃木坂46×キリスト教」のコラムです。

2020年5月25日、乃木坂46の新曲『世界中の隣人よ』(作詞:秋元康/作曲・編曲:taka)のミュージックビデオが公開されました。新型コロナウイルス感染症拡大防止のために、自分たちに何かできることはないだろうかというメンバー自身からの問いを受けて制作された曲だそうで、自粛を続けることの大切さや、医療現場などで日々必死に頑張っておられる方々への応援などがこの曲には込められています。MVは、それぞれのメンバーの自宅などでリモートで撮影した映像が使用されており、メンバーたちもまた一人の当事者として自粛を続けている様子がうかがえます。


ところで、僕自身は別に乃木坂46というグループの熱烈なファンというわけではないし、彼女たちの活動を常日頃から見守っているわけでもありません。なんなら、「乃木坂46の曲のタイトルを一つ挙げてください」と言われたら、僕はこの「世界中の隣人よ」だけしか答えられません。では、どうして今回、この曲に着目したのか。それは、この曲のタイトルの中にある「隣人(りんじん)」という言葉が気になったからです。

「隣人」、この言葉はキリスト教の重要なキーワードの一つです。キリスト教の祖である「イエス」という人物はかつて、人々に次のような教えを説きました。「隣人を自分のように愛しなさい」(新約聖書 マタイによる福音書 22章39節ほか)。これは、元々は旧約聖書のレビ記19章18節に書かれている言葉で、イエスはそれを「最も重要な掟の一つ」として引用したのです。

隣人という言葉は普通、「となり近所に住む人」というような意味でしか使われません。「アパートの隣人から騒音に関する苦情がきた」とかですね(例えが悪くてすみません...)。まぁだからこそ、僕はこの曲のタイトルを見たときに「おっ」と思ったわけです。ちなみに、作詞を手掛けた秋元康氏がキリスト教の信者であるなどということは聞いたことがありません。でも、様々な分野に精通しておられる秋元氏ほどの人物であれば、「隣人愛」という言葉も、またその言葉が実は聖書に由来しているということも、きっとご存知なのではないかと想像します。

「隣人愛」という言葉自体はこの曲には使われていませんが、以下のようなフレーズがあります。

  隣人よ そこにいて あなたの想いは伝わっているから
  手を握らなくても そのは分かち合えるよ

アイドルグループの歌う楽曲にありがちなキーワードとして「愛」という言葉が挙げられるかと思いますが、この曲の中で歌われている「愛」は、他の曲に見られるような「性愛」を意味するものではありません。見やすいようにボールドで強調しておきましたが、上の2行の歌詞を囲い込むようにして「隣人」と「愛」という言葉が配置されているのがお分かりいただけるでしょうか。「性愛」ではなく、またただの「となり近所に住む人」への愛でもなく、「自分以外の他者」「世界中のあらゆる人」への愛、つまり「隣人愛」について歌われていることが、巧みに構成されたこの2行の歌詞には暗に示されているのだと読み取れるわけです。

もう一つ、気になった歌詞がありました。

  隣人よ 微笑んで 私と一緒に歌ってください
  壁の向こう側に この声は聴こえていますか?
  お互いに一人じゃないとわかって...

この中に「壁(の向こう側)」という言葉が出てきます。「壁」というと、僕はある聖書の言葉を思い出します。「キリストは、私たちの平和であり、二つのものを一つにし、ご自分の肉によって敵意という隔ての壁を取り壊し、」(新約聖書 エフェソの信徒への手紙 2章14節)。イエス・キリストは、異なる誰かと誰かの間に存在する「隔ての壁」を取り壊し、和解と一致、そして平和を実現してくださるお方である...。イエスが人々に教えた「隣人愛」を実践することで、自分と他者との間には「平和」が生まれる。そのように信じています。

ただ、今回この曲を聴いて思ったのは、「壁は絶対に取り壊さなければならないものなのか?」ということです。人間が他者との間に「壁」を作るのは、自分を守るためであり、自分の中に踏み込んでほしくない領域があるからです。それは、たとえば家族であっても同じで、「隠し事はしてはいけない」などと言って、親が子どものプライバシーを侵害するようなことがあってはいけません。夫婦でも、家族同士でも、親友同士でも、お互いの間に取り壊してはいけない「壁」が存在するのです。

もしかすると、隣人愛というのは、「壁の向こう側の誰かへの愛」というように表現できるものなのかもしれません。キリスト教においては、他者との間にある壁を乗り越えたり壊したりして実践するような愛が「隣人愛」であると聴くことがありますし、僕自身もそう思ってきたのですが、「隣人よ 微笑んで 私と一緒に歌ってください/壁の向こう側に この声は聴こえていますか?/お互いに一人じゃないとわかって...」という歌詞を聴いたとき、必ずしもそうじゃないのかもしれないという思いに至りました。壁の向こう側にいたとしても、それが誰か分からないとしても、その人のことを覚え、祈ることができるならば、それこそ本当の「隣人愛」なのではないでしょうか。

新型コロナウイルス感染症の影響下においては、支え合いの精神、他者への愛、つまり「隣人愛」が不可欠です。自分勝手な行動によって、知らぬうちに、誰かを苦しめてしまうようなことがあってはならないからです。
乃木坂46のメンバーの思いが、この曲を通じて多くの人の心に届けられますように。そして「隣人」を自分のように大切にする愛が世界中に広がり、この危機を皆で乗り越えていけますように。

はからめ

本日のブログで紹介するのはキリスト教センターの"はからめ"です。

 

・・・えっ!?

 

はからめっ!?

 

"歯から目"で「目には目を、歯には歯を」じゃないんです。

ハムラビ法典で有名なこの言葉、「目には目を、歯には歯を」は旧約聖書のレビ記などにも書かれていますが・・・と豆知識を紹介しつつ、今日は"はからめ"なんですよ。

 

"葉から芽"なんです。

 

まあ↓コチラをご覧ください。

 

CIMG1838.jpgまさしく葉から芽!!

セイロンベンケイという植物です。

 

CIMG1837.jpg通称"はからめ"

水に葉っぱをひたすこと3ヶ月弱、ようやく芽が出てきました。

 

なんで葉から芽を育て始めたかというと・・・トナリの上司(仮名)さんが瀬戸キャンパスのポトスからさし芽で増やしたポトスを可愛がっているのが楽しそうだったから真似っこしたのです。というのは冗談として、神が創造された自然(植物)を思い起こして、自然を大切にする心をやしなって欲しいと願っています。

キリスト教センターのポトス

CIMG1836.jpgCIMG1833.jpg CIMG1835.jpg 

聖書には色々な植物が出てくるので、今度から聖書の植物を紹介していこうかなー。

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